vol.12小林純子さん Junko Kobayashi クリエイティブ系会社のWeb事業部やWeb専門の制作会社にて |
外国語大学を卒業後、語学力を活かせる貿易業界に就職しましたが、
事務作業を淡々と行う仕事にどこか物足りなさを感じていました。
あるとき、友人からMacのパソコンのお下がりをもらったので、
なにか作ってみようとグラフィックソフトを触ってみることに。
パソコンを使って制作を試みたのはそのときがはじめてでしたが、すぐにおもしろいと感じ、
デザインに興味を持ちはじめました。
そして、クリエイティブ系の職種に就きたいと真剣に考え、制作会社への転職を決めました。
入社当初は、DTP事業部に所属していましたが、紙からWebヘメディアが大きく動きはじめ、
社内でもWeb制作の需要が高まり、入社4年目でWeb事業部に異動することに。
以前から関心があり、独学でコーディングの勉強をしていたので、
実務経験を積める環境に異動できたのはラッキーでした。
しかし、実務では分からないことだらけで、独学・実践のくり返し。
着々と技術を習得し、そのWeb事業部では7年間のキャリアを積みました。
勤めていた会社がWeb専門の会社ではなかったため、
もっと周囲と切磋琢磨できる環境で働きたいと考え、
Web専門の会社へ転職。
子どもを保育園に預けていたので夕方5時には退社していましたが、クライアントの要望に応えるため徹夜する社員も多く、
夜中に緊急のメールが届くこともありました。
”ここで忙しく働いていては、家庭とのバランスが取れなくなってしまう” と危機感を感じ、1年足らずの短い期間でしたが、退社を決意。
その後、”子どもを育てながら新しい仕事を生み出し、
自分らしい道を切り拓きたい”と考え、フリーランスという働き方が見えてきました。
タイミング良く、知人からわたし個人への制作案件の相談が重なったことがきっかけで、
フリーランスに転身しました。
前職つながりやHWCからの案件などで、営業せずとも仕事につながり、
フリーランス業は思ったより順調な駆け出しでした。
フリーランスになって時間に余裕ができ、子どもとのコミュニケーションが増え、
新たな出会いや嬉しい出会いが数多く、
会社員時代より仕事や生活を楽しめるようになりました。
一方、当時新聞記者の夫は、多忙を極める毎日。
“このまま東京で働いていては、仕事で一生が終わってしまうのではないか”
夫も、仕事を続けるなかで以前のわたしと同じような危機感を抱いていたようでした。
三重県の田舎はわたしの故郷であり、幼い頃は自然に囲まれ、のんびりと暮らしていました。
夫とわたしは、東京での暮らしがハードになるにつれ、
“いつかは、家族で地方に移住してゆっくりと暮らしたい”という思いが強くなっていました。
そこで、たまたま見つけた三重県のある求人を軽い気持ちで夫に勧めてみると「受けてみようかな」という答え。
夫は迷いなくエントリーをし、採用が決まりました。
これが決定打となり、思い切って三重県津市に移住したわたしたち。
車で1時間以内の距離に海や山、遊べるところもたくさんあり、
東京では得られなかったゆっくりとした時間を過ごしており、とても満足しています。
ただ、ここでのWeb制作の需要は東京に比べ圧倒的に少なく、東京の仕事に頼っているのが現状です。
HWCからは、コーディング制作案件を多々紹介いただき、
移住前と変わらず好きな時間に仕事ができるので助かっています。
今後、HWCの仕事を続けながらも三重県でのお客さまを開拓できるよう努力していかなければと思っています。
自分たちの力で仕事を生み出していけるようになるのが目標です。
さらに、都会暮らしをしてきた視点で三重県を盛り上げる提案もしてみたい。
新しいことへ挑戦を楽しみつつ自分たちが考える豊かさを追求していきたいと思います。